台本/花ぞ昔の香に匂ひける(男1:女2)

作品概要説明

主要人物3人。約8000字。和歌×三角関係×選択式恋愛台本.こちら台本企画「ヨンアテ」参加作品です。よろしければXにて#ヨンアテでご検索おねがいします。


〇登場人物

仁:菅野仁。 じん。30~40くらい。営業職。

香梅:菅野香梅。こうめ。仁の嫁。死んでる。

染井:染井佳乃。そめい。20代後半。仁の恋人(仮)会社の後輩。

妻:一言のみ。香梅か染井かどちらがやるかは仁役が指定してください。

Mはモノローグです。


〇引用和歌一覧は文末にあります。(長いので読まなくても何とかなります)

参照:小倉山荘 ちょっと差がつく百人一首講座

https://ogurasansou.jp.net/columns_category/hyakunin/


〇ご利用前に注意事項の確認をよろしくお願いいたします。

https://natume552.amebaownd.com/pages/6056494/menu

作者:七枝




本文


香梅:人はいさ心も知らずふるさとは

仁:花ぞ昔の香に匂ひける

〇間。場面転換。染井の自宅にて。ベッドの上のふたり。

染井:……和歌?

仁:……なに?

染井:さっき口ずさんでたでしょう?

仁:だからなにを。

染井:人はいさなんちゃら、って。

仁:ああ……梅の香りがしたから。

染井:だから和歌を詠むんですか?ずいぶんお上品な趣味ですね。

仁:うちの嫁さんの趣味だよ。カルタが好きなんだ。

染井:カルタ?

仁:知らない?小倉百人一首。

染井:何年か前、そういうドラマみた気がします。

仁:それ。嫁さんカルタ部だったから。

染井:へぇ……

仁:むかし何回も付き合わされてさ。大変なんだぞ?めっちゃ汗かく。典雅な文科系だと思ってたら、ありゃ体育会系だね。夢にまで出てきた

染井:どんな夢です?

仁:そりゃカルタの夢だよ。決まり字がどうたら、友札がどうたらってうるさいのなんの。

染井:そう、奥さんの夢をみたんですね。

仁:……なんか機嫌悪い?

染井:いいえ。貴方がそういう人だって知ってますもの。

仁:あ~……悪い。こういうとこでそういう話するもんじゃないよな。

染井:いいんですよ、気にしないで。私に責める権利なんてないですから

仁:拗ねないでくれよ

染井:拗ねてません

仁:拗ねてるって。こっちむいてよ。

染井:いやです。

仁:おねがい。

染井:ちょっと触らないで。

仁:なあ、笑ってよ

染井:いやだって、ふふ。すぐそうやって甘える

仁:許して?

染井:許すもなんもないでしょう?そもそも怒ってませんって

仁:ほんとに?

染井:ええ。

仁:よかった、きみに見捨てられたらどうしたらいいかわかんないよ。

染井:じゃあ帰らないで。

仁:……それは、

染井:嘘。冗談です。そんな困った顔しないでくださいよ。

仁:俺だって帰りたくない。でも明日も仕事あるしさ。

染井:わかってます。

仁:また来てもいい?

染井:どうしよっかな。

仁:意地悪すんなよ

染井:ふふふ。そうだ、梅の枝もって帰ります?2本あるから1本持って行っていいですよ。気になってたのでしょう?

仁:買ったのか?

染井:まさか。もらったんです。ほら、イトウ商事さんのとこの大きな梅の木おぼえてません?今日伺ったら剪定されてて。

仁:そっか、午後から外回りだったっけ

染井:いい香りだと褒めたら、おすそ分けいただいたんです。

仁:ふぅん。もったないことするな、これなんて蕾がついているのに。

染井:あら、仁さんご存じないですか?梅は切った方がいいんです。その方がたくさん花を咲かせるのですよ。

仁:そうなのか?

染井:桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿ってことわざがあるほどです。

仁:へぇ、香梅が喜びそうな話だ。

染井:…………

仁:あ、ごめん。

染井:(ためいき)

仁:……明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしきあさぼらけかな

染井:は?

仁:……えっと、恋人と離れるのがつらいよって歌。

染井:私、百人一首とか詳しくないですし。それで喜ぶの奥さんぐらいじゃないですか?

仁:……そうだよな、ごめん。

染井:ばか。

仁:……ごめんなさい。

染井:もういいです。恋人って呼んでくれたからゆるしてあげます。

仁:ちょろくない?

染井:そう、私ちょろい女なんです。だからちゃんと可愛がってください。

仁:かわいい。すっげえ可愛い。世界一かわいい。俺ちょろい女だいすき。

染井:でしょう?

仁:あ~帰りたくねぇな。

染井:うそつき。

仁:嘘じゃないって。

染井:奥さんのこと溺愛してるじゃないですか

仁:んなことねぇって。きみの方が好きだよ。アレは惰性だ。惰性。

染井:……それなら。

仁:ん?

染井:ううん、なんでもないです。梅、私だと思って花が咲くまで愛でてくださいね

仁:もちろん

〇場面転換。仁の自宅。

仁:……とは言ったけどなぁ、急に梅なんて持って帰って大丈夫だったか?さすがの香梅も怪しむか?

香梅:じんくん、おかえりなさい。

仁:ただいま。

香梅:んん?くんくん……なんかいい匂いする。

仁:あ~えっと、取引先の人からおすそわけもらってさ。

香梅:あら!それ持って電車乗ったの?

仁:いらなかったか?

香梅:まさか。ふふ、一輪挿し出すね。

仁:おう、頼むわ。

香梅:遅いから浮気してるのかと思った。

仁:あほ。遅くまで仕事頑張ってきた夫になんて言いぐさじゃ。

香梅:だってじんくんモテるし、いい匂いさせて帰ってくるし。

仁:梅の花たちよるばかりありしより 人のとがむるかにぞしみぬる

香梅:古今和歌集?じんくん、百人一首以外もおぼえてるんだ?

仁:梅の歌だけな。

香梅:私の名前が梅だから?

仁:言わせんなよ、野暮だなぁ。

香梅:へへへ!

仁:風呂は?沸いてる?

香梅:先にご飯食べなくていいの?

仁:腹へってない。

香梅:あ!女の人と食べてきたんだ?

仁:だから取引先だっての。……おい、まだ風呂沸かしてないのかよ

香梅:忙しかったんだもん

仁:一日中家にいるくせに。

香梅:それモラハラ発言だよ?出るとこ出るとお縄だよ?

仁:よのなかは

香梅:常にもがもな渚漕ぐあまのを舟の綱手かなしも

仁:なんでもない日常が一番、ってな

香梅:ここ海じゃないし、戦乱の世でもないし

仁:ばーか。現代人の戦いは法廷で起こってんだよ。

香梅:またそうやって屁理屈いう。大体じんくんが遅いのが悪いんだよ。いつ帰ってくるか教えてくれなきゃ(私だって)

仁:人はいさ

香梅:心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける……もー!百人一首出せば私が黙ると思ってない?

仁:実際黙るじゃん。嫌なら無視すればいいのに。

香梅:これは呪いだよ。呪い。カルタ部の習性みたいなもんなの

仁:お前ほど呪われてるやつそういないだろうな

香梅:だって好きなんだもん。

仁:なら諦めろ

香梅:むかつく……じんくん明日からお弁当なしね。

仁:はぁ?

香梅:今や男性もスイーツでバズる時代だよ?じんくんもお料理はじめてみようよ

仁:俺は昔気質(むかしかたぎ)な男なの。男子厨房に入らず。

香梅:面倒なだけでしょ

仁:たのむよ、お前の料理じゃないと喰った気がしないんだよ

香梅:だめ。

仁:なんで。

香梅:だめなものはだめ。自分で作れないなら「取引先」の人にでも作ってもらえば?

仁:なんだよそれ。どういう意味?

香梅:べつにぃ。

仁:俺を疑っているのか?

香梅:そんなこと言ってないじゃん。

仁:態度が言ってるんだよ。

香梅:やましいことあるから、そう思うんじゃないの?

仁:おい。

香梅:……ごめん、言い過ぎた。でも、私待ってたんだからね。じんくん帰ってくるまで、待ってたんだから。

仁:……俺も、わるかったよ。

香梅:仲直りする?

仁:ん。

香梅:……あのね、じんくん。

仁:なぁに。

香梅:梅の話じゃないけどね、私変わらずにここにいるからね。忘れないでね。

仁:……重いよ。

香梅:だってじんくん、言わないと忘れそう。

仁:毎日みる顔忘れるわけないだろ。

香梅:ふふふ。

仁:むしろ忘れたいぐらいだ。

香梅:ひどい。

仁:ひどいのはどっちだよ。弁当つくってくれよ。

香梅:やだよー

仁:笑ってないでさ。なぁ、香梅。

香梅:…………

仁:香梅?

〇間。

仁:おい、香梅。返事しろよ。

〇間。場面転換。電車でうたた寝をしていた仁。

仁:おい!

染井:はい?どうしました先輩?

仁:……え、あれ……?ここ電車か?

染井:そうですよ。なんの夢みてたんです?

仁:あ……いや。俺、いつの間に……

染井:ほんの10分くらいですけどね。お疲れですか?

仁:少しぼーっとしてたみたいだ。すまん。

染井:いいえ。どうせ後は帰社するだけですし、お気にせず。

仁:ああ……えっとプレゼンは……

染井:さきほど終わらせたでしょう?嫌ですよ、名刺失くしたとか言わないでくださいね。

仁:そう、だったな。……ああ、うん。大丈夫だ。

染井:……やっぱり顔色よくないですよ。ご飯たべてます?

仁:まぁ、そこそこ。

染井:お酒ばかり飲んでるんじゃないでしょうね?

仁:食ってるって。

染井:頬、こけてますし。

〇染井、仁の頬に手を伸ばすが、手を振り払われる。

仁:やめろ、触るな。

染井:…………

仁:や、ほら、どこで会社のやつが見てるかわかんねーし。な?

染井:それを言うなら心配させないでください。

仁:わかったよ。

染井:……私、プライベートと仕事はわけてます。

仁:わかってる。信頼してるよ。

染井:(ためいき)

仁:……怒った?

染井:夕飯奢ってくれたら、ゆるします。

仁:ちゃっかりしてるなぁ。

〇仁、スマホを取り出し香梅にメールする。

染井:……何してるんですか?

仁:嫁さんにメール。遅くなるって言っておかないと。

染井:それ、必要ですか?

仁:さすがに必要だろ……え?私の前で他の女に連絡とらないで、とか言う?

染井:調子のらないでください。

〇染井、仁の足を踏む。

仁:いでででで。

染井:ねぇ、先輩。最近家の掃除とかちゃんとしてます?

仁:や~そういうのは嫁の仕事だから。

染井:……そういうのよくないですよ。自分の部屋は自分で掃除しなきゃ。

仁:やめてくれよ、お前まで香梅みたいなこと言わないでくれ

染井:奥さんにも言われているんですね。

仁:あ~……うん、まぁ……

染井:今度手伝いにお伺いしましょうか。

仁:ええ?だめだめ。うちには香梅がいるんだから。

染井:ずっといらっしゃるのですか?見えない時はない?

仁:うん。

染井:……たまには奥さんも息抜きが必要なのでは?

仁:……俺に問題があるって言いたいの?

染井:いえ、その……

仁:あのさあ、気持ちはわかるけどまだ嫁さんに何も話せてないのよ。もう少し待ってくれない?

染井:……ええ。

仁:ちゃんとさ、二人のことは考えていきたいな~って思ってるから。

染井:わかってます。自分の立場くらいわきまえてますよ。

仁:頼むわ。

染井:ただ……

仁:ん?

染井:私は先輩の支えになりたいんです。

仁:支えに……ねぇ。

染井:ほ、ほらお掃除は無理でも、お弁当とか!

仁:あ?

染井:お弁当私がつくってくるとか、どうですか?

〇間。場面転換。その日の帰宅後。仁の自宅。

仁:どうですか?

香梅:いいんじゃない?

仁:お前、本気で言ってる?

香梅:会社の後輩ちゃんがお弁当作ってきてくれるってことでしょ?私は楽できるし、じんくんはお腹いっぱいになる。後輩ちゃんは満足する。三方よし!

仁:よし!じゃねぇんだよ、よし!じゃ。お前なんとも思わないの?

香梅:なんともって?

仁:不倫、とか……

香梅:じんくんが?はは、そんなのあるわけないよ

仁:この前は疑ってきたくせに。

香梅:ちょっとしたじゃれあいでしょ。本気なわけないじゃない。

仁:そうかぁ?

香梅:じんくんがへたれだってこと、誰よりも知ってるもん

仁:おい。

香梅:つくばねの 峰よりおつる みなの川

仁:恋ぞつもりて 淵となりぬる

香梅:私のは、恋じゃなくて愛だけどね。

仁:……だから重いって。

香梅:じんくんも同じ気持ちでしょ?

仁:はあ?

香梅:も~素直じゃないんだから。

仁:お前が検討はずれなことばかり言うからだろ。

香梅:わかってないなぁ。

仁:なにが。

香梅:でもゆるしてあげる。

仁:もしもーし、香梅さん。会話してくれる?

香梅:じんくんはね、自分で決めていいんだよ。後輩さんのお弁当たべるもよし、買うもよし。……私のおすすめは自分で作ってほしいけど。

仁:それは無理。

香梅:なさけな。

仁:うるせぇ。

香梅:美味しいお弁当だといいね。ちゃんと全部たべるんだよ?

仁:母親みたいなこというなよ。

香梅:いただきますとごちそうさまは重要だからね。わかった?

仁:へいへい。

香梅:心配だなぁ。ご迷惑おかけしないかな。

仁:あのな、ガキじゃないんだから。

〇場面転換。昼休み、会社の近くのベンチで食事をとる仁と染井。

染井:ふふ、先輩こどもみたい。

仁:あん?

染井:ご飯粒、くっついてますよ。

〇染井、仁のご飯粒をとって食べる。

仁:いいよ、そんなことしなくて。自分でとるよ。

染井:わかってます。私がしたくてしているんです。

仁:ったく、香梅といい君といい俺をなんだと思ってるんだ……

染井:奥さんがなにか?

仁:きみに迷惑かけそうで心配、だと。

染井:それはそれは……ふふっ

仁:いただきますとごちそうさまは重要だとかなんとか。小学生じゃないんだぞ

染井:そんなやりとりをされていたんですね

仁:あ……わるい。また嫁の話。

染井:いいですって。それより奥さん嫌がってませんでしたか?

仁:いいや?三方よしって言ってた。

染井:三方?

仁:俺と香梅ときみ。

染井:……よかった。

仁:変な奴だよな。

染井:さすが先輩の奥さんですよね。

仁:どういう意味だよ。

染井:優しい人ですねって意味です。さすが先輩が選んだ奥さんです。

仁:嫌味か?

染井:そんなわけないじゃないですか。私、奥さんに受け入れてもらいたいんです。私のこと。

仁:……それはさすがに。

染井:すぐに、とはいいませんから。

仁:はあ。

染井:負担になっちゃいましたか?すみません。

仁:いや、そうじゃなくて……あ~なんて言えばいいんだ?きみは俺の嫁に敵意をもってるんじゃないのか?俺の事すきなんだろ?

染井:すきですよ、愛してます。できるなら独り占めしたい。

仁:なら、

染井:でも私が恋したのは、奥さんが大好きな仁さんだから。

仁:…………

染井:そんな貴方だから傍にいたいと思ったんです。奥さんを愛している仁さんごと支えたいんです。

仁:誰の話してんだよ。

染井:……じんさん?

仁:そんなやつが不倫するかよ。

染井:…………

仁:悪い、変な空気にしちまったな。きみもはやく食べろよ。昼終わるぞ。

染井:……いいです、最近食欲なくて。

仁:はあ?人には心配だなんだの口だしておいて。早めに病院いけ。

染井:お願いしたらついてきてくれます?

仁:……それほど体調悪いのか?

染井:…………やだなぁ、優しくしないでくださいよ。

仁:染井?

染井:ありがとうございます、今週末行ってくるので大丈夫ですよ。

仁:そ、そうか。

染井:お弁当、おいしかったですか?

仁:ああ。ごちそうさま。

染井:お粗末様でした。

仁:片付けたら、さっさと戻るぞ。午後イチでアポイントがある。

染井:はい。……あの、先輩。

仁:なんだ?

染井:先輩は悪くないですからね。私が勝手に誘ったんですから。

仁:……どの話だよ。

染井:どれでも、です。

〇間。場面転換。家で物思いに沈む仁。

仁:……はあ。

香梅:お悩み?

仁:あ?何が。

香梅:さっきから溜息ばかりついてる。

仁:別に。平日の疲れが出てるだけ。

香梅:忍ぶけど色にいでにけりわがこいは

仁:ちげぇよ

香梅:ふふふ。ねぇ、じんくん。

仁:なに。

香梅:だいすきだよ。ずっとすき。

仁:なんだよいきなり。

香梅:だからね、悩まなくていいんだよ。

仁:……なんなんだよ。

香梅:…………

仁:いわねぇだろ、そんなこと。

香梅:…………

仁:勝手な妄想くっつけるな。ウザいんだよ、笑うなよ。

香梅:ひどいなぁ。

仁:ひどいのはどっちだ。

香梅:わたし?

仁:…………

香梅:私が、どんなひどいことしたの?

仁:それは、

SE:呼び鈴の音。

香梅:あれ、お客さん?

仁:いい。俺が出る。

SE:ドアの開く音。

〇扉の前に泣きはらした目をした染井が立っている。

染井:先輩。

仁:染井、お前どうして、

香梅:じんくん、どなたー?

仁:会社のやつだ!お前はでなくていい。

香梅:じゃあ、挨拶しなきゃ。

仁:いいから。

染井:先輩、きいてください。

仁:染井、ここはまずいから移動しよう。

染井:いえ、ここでお話させてください。

仁:お前なに考えて、

染井:赤ちゃんが出来たんです。

仁:……は?

染井:先輩の子です。

仁:……そんなはず。

染井:ゴムも100%じゃないって先生が言ってました。

仁:…………おれが、父親?

染井:はい。

仁:……まさか。

染井:ごめんなさい。

仁:……どうして、香梅じゃないんだ。

染井:……っ!

〇染井、仁を突き飛ばして部屋に押し入る。

仁:おい、勝手に入るな!

染井:ごめんなさい、仁さん!ごめんなさい!でも、みてください。ちゃんとみて。この部屋を、みてください。

仁:何を言って……いいから出てけよ!

染井:いないじゃないですか!

仁:は?

染井:どこにも奥さんいないじゃないですか!この部屋には先輩以外いないじゃないですか!みてください。ちゃんとみて、思い出してください。奥さんのこと。……私のこと。

仁:……お前。

染井:ごめんなさい、先輩。でも私もう待てない。

仁:な、何いってるんだよ。は、早く出て行けよ。香梅が戸惑ってるだろ……

染井:死んじゃったじゃないですか。

仁:は?

染井:奥さん、死んじゃったじゃないですか!

香梅:あーあ。

仁:……こうめ。

香梅:きづいちゃったね、じんくん。

〇間。

仁:ちがう。

香梅:あらざらむ

仁:そんな筈がない。

香梅:このよのほかの

仁:違う違う違う。香梅はいる。ここにいるじゃないか。

香梅:おもいでに

仁:やめろ、そんな唄うたうなよ

香梅:いまひとたびの

仁:香梅はそんなこと言わない。

香梅:あふこともがな

仁:香梅は、言ったんだ。ずっと一緒にいるって。いつまでも待ってるって。この部屋で変わらずに……

香梅:ああ、だがそれも俺が言わせた言葉だった。

仁:ちがう!

染井:先輩。

仁:ひっ

染井:怯えないでください。ごめんなさい、貴方を傷つけるつもりはなかったんです。

仁:どうして、ここに来たんだ。どうして……

染井:先輩……いえ、仁さん。私じゃだめですか。私では貴方のそばにいる人間になりえませんか。

仁:……俺は父親になれない。

染井:いきなり父親の自覚をもてなんて言いません。私だってこわい。怖くて怖くて仕方がない。だからここに来たんです。私と一緒に一歩ふみだしてくれませんか。私の手を握ってくれませんか。貴方を支えたいんです。本当です。でも貴方にも私を支えてほしい。お願いです、私を信じてください。

仁:……染井。

染井:佳乃って呼んでください。私の名前です。

仁:……よしの

香梅:いいんだよ、じんくん。じんくんが望むほうを選んでいい。決めるのはじんくんだよ。

仁:だが、香梅は俺をゆるしてくれるだろうか。

染井:許してくれますよ、こんなにも 仁さんに愛された奥さんなんですから。

香梅:さあどうしたい?私とあのこ、どちらを選びたい?

仁:……おれは、

仁:(M)梅の香りがする。視線をめぐらせば、小汚い部屋の中で、比較的片付いている机の上に、一輪挿しが置いてある。染井が持ってきて、香梅が活けた枝。梅の枝。

仁:(M)蕾がふっくらとほころんで、花が咲きかけていた。

〇以下、仁役がAかBか選ぶ。

仁:(A)幻でもいい。香梅のいない世界で生きられない。

仁:(B)佳乃、俺の手をひいてくれるか。

〇長めの間。

仁:(M)それから、結構な時が流れた。

仁:(M)当時はなかなかの修羅場を演じてしまったな、と振り返れば苦々しく思うが、こうやって心穏やかな時が過ごせるのはあのことがあったからだろう。

仁:(M)今、俺は俺自身の選択を受け入れて、妻の待つ家へと帰ることができる。

SE:ドアの開閉音。

仁:ただいま

妻:おかえり、仁くん。


〇終



〇引用和歌一覧

・「人はいさ心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」

紀貫之(35番)「古今集」

【現代語訳】 「あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ」

・「明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしきあさぼらけかな」

 藤原道信朝臣(52番) 『後拾遺集』

【現代語訳】「夜が明けてしまうと、また日が暮れて夜になる(そして、あなたに逢える)とは分かっているのですが、それでもなお恨めしい夜明けです」

・「世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも」

 鎌倉右大臣(93番) 『新勅撰集』

【現代語訳】「世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい」

・「しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで」

 平兼盛(40番) 『拾遺集』

【現代語訳】「心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまっていたようだ。

私の恋は、「恋の想いごとでもしているのですか?」と、人に尋ねられるほどに

・「あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな」

 和泉式部(56番) 『後拾遺集』

【現代語訳】「もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです」

・「つくばねの峰より落つるみなのがは 恋ぞつもりて淵となりぬる」

 陽成院(13番) 『後撰集』

【現代語訳】「筑波のいただきから流れ落ちてくる男女川(みなのがわ)が、最初は細々とした流れから次第に水かさを増して深い淵となるように、恋心も次第につのって今では淵のように深くなっている」

・番外(百人一首以外)

「梅花立よるばかりありしより 人のとがむる香にぞそ染みぬる」

 よみ人知らず 「古今和歌集」

【現代語訳】「梅の花が咲いている。少し傍らに寄っただけなのに、誰の移り香かと、恋人に咎められるほど、香りが着物に移ってしまった」

〇用語解説

・決まり字……百人一首にてここまで聞けば、取るべき札がわかる」という歌の先頭の数文字。ぬるぽといえばガッ

・友札……決まり字が途中まで同じの札のこと

・三方よし……元はビジネス用語。売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三方が満足している状態。「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方。当然ながら不倫はどうあがいても「世間よし」にはならない。

七枝の。

声劇台本おいてます。 台本をご利用の際は、注意事項の確認をお願いします。

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