台本「そこに誰かいた」の番外編ショートショート。
本編後の優香ちゃんと鬼いちゃん(速水)が一緒に遊んでいるお話。あのラストからハッピーエンドになるんか?って聞かれて、できたもの。ハッピーエンドルートあると思います。
本編読んでいない人にもわかる一行あらすじ:人間のフリした鬼が娘をさらってきました
鬼:人間の姿の時は速水と名乗っている。主食は人間。好物は記憶。
優香:さらわれた贄。元姉妹Yo〇tuber。大人しそうにみえてタフ。
心臓が爆発しそうだ。
優香は限界を訴える脇腹の痛みを無視して、荒々しく息を吐いた。
じんわりと湿った空気が気持ち悪い。
まるで水の中を掻くように、めちゃくちゃなフォームで必死に手足を振り動かす。
慣れない山道を走った足はとうにボロボロだった。動画映えするように履いたヒールの高いミュールはとうに投げ捨てている。どうして私が。なぜこんな目に。そんな風に悪態をつく時期も過ぎていて、今はただ呼吸することと、より早く走ることだけを考えていた。
「ゆうかぁ」
背後から声がする。
優香は今、暗い森の一本道を走っていた。
どこから始まって、どこへ続くかもわからない。気が付けば夜の森にひとりぼっち。
そんな時に、背後から現れた影に声をかけられたのだ。
「お兄ちゃんとあそぼう」っと。
噛みしめた唇に、じわりと血が滲んだ。咄嗟に、家に帰ったら唇ケアしないとお姉ちゃんに怒られちゃうなと考え、苦笑する。帰れるかどうかなんてあの男次第だというのに。
もう何本目かもわからない大樹の前を通り過ぎると、見晴らしのいい田んぼ道になった。水路の横に老朽化でぼろぼろになった木の看板を発見する。「ここから先、垂間神社」と書かれていたのが、いやに目についた。
ちくしょう、化け物め。ひとで遊びやがって。
苛立ちのままひと際力強く地面を蹴った、その時だった。
「うわっ」
柔らかなあぜ道に足を取られた彼女は、顔面から地面に転倒してしまった。
びりびりと全身を伝わる衝撃に動けなくなる。その隙を、鬼は待っていた。
「やった、つかまえた!」
大きな手に二の腕を掴まれて、そのまま男の胸の中へ引きずり込まれた。
男は嬉しそうに、にたりと笑い血を流す優香の額を舐める。
「これで鬼ごっこも俺の勝ち!優香の記憶、またひとつもらうね?」
「くそ、死ね……」
「こら、お口が悪い」
悪いお口はとっちゃおうかな?と戯れに長い爪で唇を突かれる。優香は顔を青くすると、慌てて男から距離をとった。なんせ、この男が言うと冗談では済まないのだ。
何故ならこの男は――優香をさらった、化け物なのだから。
「うそうそ。ジョーダンだよ。そんなすぐ離れちゃ、お兄ちゃん寂しい」
「なにがお兄ちゃんですか、気持ちが悪い」
「ひどいなぁ、初めて会った時はあんなに喜んでくれたのに」
「それは……」
お姉ちゃんと喧嘩してたから……と言いかけて、口を閉じる。これ以上この男の前で大事な姉の話はしたくなかった。ただでさえも、もうすでに多くの記憶をとられているのだ。たとえそれが無駄なあがきだとしても、男の前で無防備な真似はしたくなかった。
「なあに、優香?」
小首をかしげて、男は優香に問いかける。
黒い髪がさらりと揺れて、月明かりに薄く微笑む瓜実顔が照らされていた。どこにでもいそうな優男だ。その姿だけをみると、到底人間にしかみえない。
だがしかし、その実こいつの正体は悍ましい人食いの化物なのだ。
優香をさらい、大事な姉から引き離し、今も虎視眈々とその記憶と身体を狙っている。
「どうしたの、疲れちゃった?もう逃げるのやめる?」
「やめません」
「ええ?でも、息あがってるじゃない。身体も怪我してボロボロ。お兄ちゃん、これ以上優香が傷つくとこみたくないなぁ……」
男の視線が優香の身体をはい回るように、じっとりと絡みつく。
本心で言っているわけではないのが丸わかりだった。この化物はまだまだ人間で遊びたいのだ。ネズミをいたぶる猫のように、戯れに爪をたて、追まわし、やがて獲物が息をとめるまで遊びつづけたいのだ。そういう化物なのだ。
「うそつき。弱っていく私をみて楽しんでるくせに」
「あれ、ばれてた?」
「当たり前でしょう」
この森に放り込まれて、何時間が過ぎたのか。5時間か、6時間か。ひょっとして2日ぐらいたっているかもしれない。少なくとも1・2時間ということはないだろう。
だというのに、この森はずっと夜のままだった。月の位置も変わらず、中天に差したままだ。
おそらく、優香は異界に囚われている。この男の裏をかくか、力技で出し抜かないかぎり、男の手のひらから抜け出せないだろう。
「久しぶりに遊んでくれる子をみつけたからさぁ、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。ごめんね?優香、とっくに限界超えちゃってたよね?ありがとう、ここまで付き合ってくれて。もう諦めていいよ」
「諦めないって言ってるじゃないですか!
「どうやって?優香に何ができるの?俺たちみたいなのに対抗する知識も術もない、弱っちい人の子がどうやって逃げ出せるっていうの?」
「それでも」
にらみ続ける優香をみて、男は困ったように眉を下げた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。久しぶりのお客様だもの、大事に大事に食べてあげる。全部とろとろに溶かしちゃえば、痛いことも苦しいこともないんだよ。天国にいるみたいに、気持ちよくしてあげる」
まるで駄々っ子をあやす兄のような口調だ。自分の優位を何ひとつ疑っていない声。
なにもかも、気に喰わない。
たしかに、体力は限界で、睡魔と空腹で頭痛がする。身体のあちこちは痛いし、正直目をあけているのも限界だ。それでも。
「嫌。ぜったい嫌。私はあきらめません」
「どうして?」
「帰らなきゃいけないんです。お姉ちゃんが、まってる」
優香の姉は勝手な人だ。勝手に動画配信を始めたかと思えば、勝手に優香を巻き込んだ。そっちから巻き込んだくせに文句は多いし、無茶ぶりも激しい。時には泣きたくなるような酷い罵声も浴びせかけられる。どうしてこんな人が自分の姉なのだと理不尽に思うこともあった。でも、姉はいつも優香の手を引きずって騒動の真ん中に引きずり込んでくる。こっちが嫌がっても妹の手を離さない。そういう人なのだ。
そういう人だから、姉はきっと優香の帰りを待っている。
理不尽で傲慢で諦めを知らない人だから。
「そうかなあ」
にやにやと愉しそうに化物は嗤う。
「ええ」
「じゃあ次優香が勝ったら、亜里沙ちゃんの様子をみせてあげるよ。お姉ちゃんのこと気になるんだろ?」
ぽたりと優香の鼻から汗がおちる。罠だ、と思った。
「……必要ありません」
「どうして?」
見栄をきるときの姉の顔を思い出す。指の震えを殺して、胸を張って口角をあげる。
「私とあなたの『あそび』に余計な雑音はいらないでしょう?それとも、もうバテちゃったんですか?鬼ともあろうものが、情けない」
「へえ」
男はほんのわずかに目を見開き、感心したように声をあげた。
「まだそんなこと言える元気があるんだ?意外にやるね」
「弱っちい人の子だってやるときはやるってことみせてあげます」
「本当に?俺が飽きるまで一緒に遊んでくれるの?」
「いくらでも。こんなやつと付き合っていられないと言わせてやりますよ」
「ふうん」
じゃあ次はかくれんぼにしよう、場所は神社の中ねと弾んだ声で男が提案した。
その声に頷きを返しながら、優香は必死に頭を巡らす。男をどうやって出し抜くか。どうやってこの世界から逃げ切るか。考えながら、その瞳は必死に男の挙動を追っていた。一瞬の隙も見逃さないように、少しでも帰還のためのヒントをもぎ取るために。
■
「みーつけた」
鬼は小さく呟き、境内の枯れ井戸に隠れた人の子を持ち上げた。
疲れ切った人の子は、すうすうと寝息をたて目蓋を閉じている。おそらく隠れている内にうっかり寝てしまったのだろう。そうなると思って、隠れ鬼を提案したのだが。
「かわいいなぁ」
鬼は人の子を抱いたまま、首筋に鼻梁を埋め、息をすった。酸っぱい汗と香ばしい恐怖の匂いがする。美味しそうだ。十分食べごろだろう。ここで欲望のまますべて喰らいつくしてしまえば、どれほど素晴らしい快楽が自身を満たしてくれるか――…そこまで考えて、顔をあげた。口内に溢れ出た唾液を飲み下し、娘を抱えなおす。
いけないいけない。まだ鬼はここで娘を亡くすわけにはいかないのだ。
鬼ごっこも隠れ鬼も十分楽しんだが、まだ足らない。全然足らない。久しぶりのお客様だ。久しぶりの、大事な贄だ。まだまだ遊びたおしてから喰ろうても何の罰も当たらないだろう。
だって娘が言ったのだ。飽きるまで自分と遊んでくれると言ったのだ。
それがどれほど、鬼を喜ばせたか。
「起きたら遊ぼうね、優香ちゃん」
娘の前髪を持ち上げ、額の傷に唇を押し当てた。
こうしておけば鬼がかけた術によって、娘の傷は寝ている間に癒えていることだろう。
娘が目覚めたら、次は何をしよう。ああ、そうだ。今回の褒美にどの記憶をもらおうか。
鬼と出会ってからの記憶をとるわけにはいかないし、娘の原動力ともいえる姉の記憶をとるわけにもいかない。
そうなると、取れる記憶も限られてくる。このあたりで趣向を変えて罰ゲームというのもありだろうか。
ぶつぶつと独り言を呟く鬼の口角は上がっている。
楽しげなその声が、たかが贄にかけるには重すぎる感情が含まれていることは、まだ彼自身気づいていない。
煌々と社を照らす異界の月だけが、ちっぽけな人の子を丁寧に囲う鬼をみていた。
〇おわり。
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