○作品概要説明
主要人物2人。ト書き含めて約4000字。失職した友人を心配して、家を訪ねにいった「俺」の恐怖体験。或いは、ひとりの女を愛した男のハッピーエンド。※江戸川乱歩「白昼夢」のオマージュ作品です。下記に青空文庫のリンクを貼ってるので、ぜひこちらもご高覧ください。
○登場人物
俺:妻子あり。情にあつい。
友人:妻を溺愛する男。無職。
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作者:七枝
本文
○友人宅にて。
友人:やぁやぁ、よくきたな。はいりたまえ。
俺:ああ、失礼する。
俺:いやあ、それにしてもここは蒸し暑い。このあたりだけ、まだ梅雨が終わってないみたいだ。
友人:盆地だから仕方ない。夏は地獄の釜の中で、冬は八寒(はっかん)のように寒い。しかし、それがよいこともある。
俺:ほぉ、何だ?
友人:ふふっ、それはまた後で教えよう。おや、ビールか。
俺:夏にはコレが一番だろう。奥方にアテをつくってもらえ。
友人:小夜子はいま立込んでいる。どれ、床下に缶詰があったはずだ。
俺:俺はきんぴらがたべたかったのだがなぁ。
友人:なるほど、それが狙いだったか。
俺:あと純粋に小夜子さんに会いたいな。随分と会ってない気がする。
友人:最後に会ったのは去年の暮れだろう。
俺:よく覚えてるな。
友人:小夜子のことはなんでも覚えている。あと酔った君の醜態(しゅうたい)もな。
俺:そうだったか?あははは
友人:まったく……よし、あったあった。これでどうだ?
俺:サバ缶か。絶品きんぴらの代わりがコレか?
友人:ふむ……ネギでも焼くか?
俺:いい、いい。お前を台所に立たせたら、あとで俺が小夜子さんに恨まれる。サバ缶でいい。
友人:最初からそう言え。
俺:土産をもってきた友人にこれとは……お前は変わらないな。
友人:数ヶ月でかわるもなにもないだろう。そういう君はなにか変わったのか?
俺:俺は何も変わらないさ。ただ……お前が仕事をやめたと聞いたもんだから。
友人:ああ、やめたな。
俺:新しい仕事はみつかったのか?
友人:いや、もっぱら家にこもっている。
俺:おいおい、そんなので大丈夫なのか。
友人:君とちがって私は無趣味だから、多少の貯蓄はあるさ。
俺:小夜子さんが黙っていないだろう。
友人:静かなものだよ。
俺:そうなのか?……お前の考えを尊重しているんだな。
友人:ふふ。
俺:へんなことをいったか?
友人:いや……だが、おかしくて。君にはアレが私の考えを尊重する女にみえるのか。
俺:見えるか見えないかで言われたら、見えないが、黙っているということはそういうことだろう。小夜子さんは確かに奔放(ほんぽう)な人だが、お前とは夫婦だ。
友人:そうだ、私と小夜子は夫婦だ。
俺:だろう?だから、お前のことを思って仕事をやめても見守ってくれている。
友人:…………そうだな。確かに、見守ってくれているのだろう。
俺:できた嫁さんに感謝することだな。俺のところのなんて、全然だぞ。最近は休日に家にいるだけで舌打ちされる。
友人:舌打ちか。
俺:そうだ、舌打ちだ。休日に二人で家にいるのにどこにも連れっていってくれないだの、家事の手伝いもしないだの、お前を見習えだの、散々言われる。
友人:はははっ
俺:笑いごとじゃないんだぞ。新婚当初は可愛い女と結婚できた自分を果報者(かほうもの)だと思ったんだがなぁ
友人:私はいまでも思っているよ。小夜子は誰よりもかわいい。私はきっと日本一の果報者だ。
俺:それは大きくでたな。
友人:そんなことはないさ。私は日本一、いや世界一の果報者だ。小夜子が私のものになってくれたのだから。
俺:そうか……うーん。
友人:なにか言いたいことでもあるのか。
俺:あー…うん。いや、お前は本当に変わらないな。結婚してもう3年も経つのに、まるで新婚のようだ。
友人:新婚だろうが、金婚だろうが、私の小夜子に対する思いは変わらないよ。
俺:うらやましいことだ。出発地点は一緒だったのにな。
友人:ああ、君のとこも高校時代からだったか?
俺:だったか?じゃないよ。お前は本当に小夜子さんしか見えてないな。俺たち同時に付き合いだしただろう。
友人:おぼえてないな。
俺:高校時代、小夜子さんと花火大会にいったことは?
友人:それはもちろん覚えている。
俺:ならそのとき、俺とうちのがいっしょにいたことも覚えておいてくれよ。
友人:………ふむ。そうだったか?
俺:そうなんだよ。そもそもあれはうちのが言い出したんだ。隣町の大きな花火大会をみにいこう。少し遠いかもしれないけれど、みんなで自転車をこいでいこう、と。
友人:うん。
俺:前日に俺の自転車が壊れて、仕方がないから、小夜子さんとお前、俺とうちので、二人乗りしていっただろう。
友人:小夜子が後ろに乗っていると思うと、背中が熱かった。
俺:背中どころか、全身汗だくだったさ。
友人:休日だったから、小夜子は制服ではなく、ひらひらとした赤いスカートをはいていた。自転車をこぐとそれがパタパタとはためく音がして、動揺したものだ。
俺:うちのも可愛かったが、それ以上に重かった。
友人:小夜子の髪からはよい匂いがした。花のかおりだ。
俺:お前は本当に人間をのせてたのか?自転車をこぎながら、女の匂いをかぐ余裕まであったのか?
友人:そうだな、確かにあのころの私は、後ろに天女でも乗せているような心地だったよ。そういえば、となりでだらだらと汚汁(おじゅう)を滴(したた)らせていた男がいたかもしれん。
俺:さんざんな言われようだが、それが俺だ。
友人:君だったのか。
俺:そうだ。四人で何万発もの花火をみて、屋台をひやかして、めいめい想い人に告白しただろう。青春の思い出だ。
友人:そうだな……いまでもあのときの小夜子の美しさは忘れられない。光を反射した黒曜石(こくようせき)の瞳。私の肩をつかむ、小さな白い手。彼女の頬をくすぐる、風の匂いでさえ、忘れられない思い出だ。
俺:お前いま何杯目だ?
友人:いま注いだ(ついだ)ばかりだろう。みてなかったのか?
俺:そうか。お前が小夜子さんしかみてないことは十分にわかった。
友人:当たり前だろう。私は小夜子を愛しているのだから。
俺:そうか。うーん……そうか、それなら、いいか。
友人:さっきから何がいいたいんだ。
俺:いや、あー……たいしたことじゃないんだ。
友人:君がいいよどむほどのことなんだろう。言え。
俺:うーん……
友人:いいから言え。君がよくよく考えてみて、結果、好転したことがあったか?
俺:ないな。
友人:莫迦(ばか)の考え休むに似たりというだろう。とりあえず言ってみろ。
俺:では思い切って言うが、お前、小夜子さんが浮気しているのは知っているのか。
友人:もちろん知っている。
俺:そうかそれは……(一拍おいて、驚いた様子で)知っていたのか?
友人:知っているに決まっているだろう。私は小夜子に関することを忘れたりしない。彼女が三日前に言った予定との相違も、見覚えのない宛名の手紙も、服の趣味や化粧の仕方がかわってきたことも、なんだって覚えている。
俺:気味が悪いな。
友人:小夜子もそういっていた。私は気味が悪いのだと。
俺:……そうか。
友人:三ヶ月前、そのことで口論になった。いや、口論といっていいほどのものではなかった。あれは私の一方的な懇願(こんがん)だった。私は彼女に頼んだ。寝床の中で手を合わせて頼んだ。「どうか誓ってくれ。私より外の男に心を移さないと誓ってくれ」しかし彼女は、頷かなかった。
友人:それどころか、まるで商売人の様な巧みな嬌態(きょうたい)で、手練手管(てれんてくだ)で、その場その場をごまかすばかりだった。だが、それが、その手練手管が、どんほど私を惹きつけたか……
俺:……お前は本当に小夜子さんを愛しているのだな。
友人:そうだ、私は小夜子を愛している。当然、その手練手管がどこぞの間男に仕込まれたものということもわかっていた。わかっていながら、小夜子に溺れる私に彼女は笑いながら言っていた。「あなたは本当に気味が悪い」と。
俺:そうか。……いま、小夜子さんはどこにいるんだ?
友人:小夜子はここにいる。
俺:この家に?
友人:そうだ。小夜子はこの家にいる。
俺:……お前、小夜子さんを許したのか?
間。
友人:……きみは、ゆるせるか?もし君が、私のような境遇(きょうぐう)にいたら、妻を許せるのか?
俺:俺は……(口ごもる)
友人:小夜子はなんでも似合う女だったが、赤がいっとう似合う女だった。私が贈った赤い口紅を、綺麗にお化粧をした顔に、彼女はいつも最後の仕上げに塗るのだ。そして私へふりむいて、にっこりと笑う。私は、この好ましい姿を永遠にしたいと思った。
友人:この女を永遠に私のものにしたいと思った。
俺:まて、お前はなにをいっているんだ?小夜子さんに何をしたんだ?
友人:わからないのか?
俺:………(つばをのみこむ)
友人:きみは、本当に、わからないのか?
間。
友人:君、屍蝋(しろう)を知っているか?
俺:………しろう?
友人:秘訣(ひけつ)なんだ。秘訣なんだよ。死骸(しがい)を腐らせない。……長時間、湿度が高く、風とおしの悪い環境に置いていると、体の中性脂肪(ちゅうせいしぼう)が分解され、脂肪酸(しぼうさん)が石鹸化(せっけんか)するんだ。そうだね、この風通しの悪い湿度の高い盆地なら、一ヶ月間は蛇口を開けっ放しにして、バラバラにした死体を樽の中にでもいれておけば、できるかもしれないね。
俺:……ッ
友人:これはたとえ話だけれど、私のかわいい小夜子の白い胴体や手足も、屍蝋化したら、きっと綺麗な蝋細工に生まれ変わるだろうね。
俺:お、まえ……
友人:おや、なんだか顔色がよくないね。そうだ、さっき妻に会いたいと言っていただろう?最後に会っていくといい。君は私の親友だから、特別にみせてあげよう。
俺(N):厭な(いやな)汗が噴き出る額をぬぐい、先ほどから動悸のとまらない心臓を服の上から押さえ込んで、俺は家の奥へと向かう友人の後へついていった。友人は二階へあがり、夫婦の寝室へと続くドアを開く。はたして、そこには彼の言ったとおり見覚えのある女が、椅子に腰をかけて笑っていた。
友人:ね、綺麗だろう。私のかわいい妻を、もっとよく見てやってくれ
俺(N):女は、ぴくりとも動かない。俺は、これは単なる精巧(せいこう)な蝋人形じゃないかと思った。そう、信じたかった。妻に逃げられた友人の、狂った妄想だと思った。だが、しかしそれを否定するように、目の前の女は糸切歯(いときりば)をむき出してニッコリ笑っていた。いまわしい蝋細工の腫物(しゅもつ)の奥に、真実の人間の皮膚が黒ずんで見えた。そして、作り物ではない証拠に、その手や、顔には一面のうぶ毛が生えていた。
終。
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