〇作品概要説明
主要人物3人。約8000字。雨の中、いっときの時間を共にした少女について語る男たち。大蛇になれなかった少女の話。※太宰治作「魚服記」のオマージュ作品です。下記に青空文庫のリンクを貼ってるので、ぜひこちらもご高覧ください。
ちなみに「魚服記」は「雨月物語」に収録されてる「夢應の鯉魚」を下敷きにしていて、「夢應の鯉魚」は元々中国の短い伝奇小説を翻案したものだそうです。
〇登場人物
サワ:炭焼き小屋の娘
父:炭焼き小屋の親父。古川と兼役
鈴本:都会の学生。運動は不得手。
古川:鈴本の友人。
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作者:七枝
本文
〇Nはナレーション。本文ここから。
古川:(N)その夜は、どしゃぶりの晩だった。雨は宵方からざぁざぁと流れ落ち、帰れなくなった友人と、よもやま話をしながら酒を飲み交わしていた。
鈴本:こんな雨の日には思い出すよ。
古川:なにを?
鈴本:君に言うてもわかるまい。
古川:とげのある言い方だな。
鈴本:ははははは。
古川:笑ってごまかすなよ。何がいいたいんだ?
鈴本:そうだな……こんな大量の水が流れ落ちる音を聞くとさ、僕は滝を思い出すんだ。
古川:たきぃ?
鈴本:そうだ。目をとじて、こうして部屋で丸くなってると、僕は滝の中にいる気がする。滝の中で、まだあの娘を探しているような気がする。
古川:なんだ、女の話か。
鈴本:そうだ。
古川:話してみろよ。どうせ暇だ。
鈴本:ふむ……まぁそうだな。そろそろ頃合いかもしれん。
古川:うん、そうだそうだ。昔の女のことなんて話して忘れるもんだろう。ほれ、もう一杯
鈴本:どうも。(ひといきにのみほす)
古川:どうだ?話せそうか。
鈴本:ああ……だが、どこから話したものか……
古川:いい女だったのか?若かったか?
鈴本:みずみずしい、いい女だった。うん、まだ幼かった。
古川:あん?幼子を手籠めにしたのか?
鈴本:してない!失礼な。僕たちはプラトニックな関係だった。
古川:プラトニック!ははっ、いいじゃないか
鈴本:笑うな。僕は、彼女に会いに行ってたんだ。晩夏、秋のはじまりに毎年。
古川:ほぉ?
鈴本:はじまりは、シダ類調査の為の採取遠征だった。君、僕の研究をしっているだろう?
古川:苔をあつめているやつか。
鈴本:そうだ。僕は苔の為に東北の山深い寒村まで飛んだ。景色のいいところでね、麓の平地には、茶屋まで出ていたほどだ。滝の側面ちかく、絶壁に生える植物を採取して……まぁ、気が緩んだのだろうな。僕は足をすべらせて、滝つぼにまっさかさまに落ちた。
古川:間抜け。
鈴本:結構な高さだったんだぞ。学舎の屋上から飛び降りたようなものだ。
古川:それはすごい。大丈夫だったのか?
鈴本:ああ、あの娘が―……サワが、僕を助けてくれた。
SE:遠くで滝の音。
〇鈴本の回想。サワとの出会いのシーン。
サワ:……っ!
鈴本:ん……ここは?……痛っ
サワ:おっとぅ!起きた!学生さん起きた!
父:ああ。
鈴本:きみたちは……?
父:この山のもんだ。
鈴本:山……?そうだ、僕は植物採取をしてて……
サワ:落ちたんだよ。
鈴本:おちた……?
父:あんさんは、都の学生さんかね。
鈴本:ええ、まぁ。
父:あんさんみたいなのは珍しい。このへんのもんは皆もっと丈夫だし、あの滝にはあまり近づかないからな。
鈴本:はぁ……えっと、僕は……?
サワ:私がみつけたのよ!学生さんが滝から落ちたところを私がみつけたの!私が助けたのよ!
父:救いあげたのは俺だがな。
サワ:ふふ。おっとうは凄いの!
鈴本:えっと、それはどうも……痛っ
父:まだ休んでおけ。明日には医者がくる。
サワ:私、おいしいごはんつくるわ!食べていってね。
鈴本:いや、そこまでお世話になるには……(痛みにうめく)
父:いいから休め。
鈴本:(N)僕は親子に勧められるまま、その晩一泊とまらせてもらった。サワの父親は物静かな男で、昼は炭焼き小屋で働き、夜は傘をつくって暮らしていると言った。父親が働いている間、サワは森で山菜をとったり、茶屋の手伝いをして小銭を稼いでいるらしい。
父: おまえさんは何しにここへ?なんもない町だろう?
鈴本:僕はシダ類の研究をしていて……
サワ:へぇ、研究!サワ、ええとこ知ってるよ!沢山色んな草があるとこ!連れっててあげようか?
鈴本:いやそんな……
サワ:いいでしょ!ね!明後日一緒にいこうよ!
鈴本:せっかくだけど僕は……
サワ:ええ~!都の話を沢山聞かせてよ。代わりにたくさん草のこと教えてあげるから!ね!ね?
鈴本:や、えーっと、困ったな……
サワ:ね、お願い!お願いお願い!
鈴本:う~ん……
父:サワ。
サワ:……おっとう。
父:けが人だ。困らせるな。
サワ:はぁ~い。
鈴本:怪我が治ったらまた来るよ。採取した植物もどこか行ってしまったし。
サワ:ほんと?
鈴本:約束しよう。
サワ:やったー!
鈴本:(N)サワは屈託のない子どもの笑みで僕との約束を喜んでくれた。聞けば、年の頃は12になるらしい。僕のよく知る12歳の子どもは生意気な弟くらいのものだったから、サワとの交流は余計物珍しさがあった。あちらがこちらに興味をもつように、僕も彼女に興味をもった。
〇以下、サワと鈴本の交流ハイライト。
〇3ヶ月後。
鈴本:やぁ、久しぶりだね。
サワ:学生さん!本当にまたきてくれたの?嬉しい!
〇1年後
鈴本:サワ、また来たよ。
サワ:え、もしかしてお兄さん?久しぶりねぇ!また森にいくの?
〇2年後。
鈴本:やあ、久しぶり。
サワ:鈴さん!来てくれるんじゃないかと思ってた!
〇サワ、鈴木に抱きついてくる。
鈴本:サワ、元気に—……おっと。
サワ:待っていたわ、鈴さん!珍しい植物をみつけたの。一緒にみてくれるでしょう?
鈴本:(N)四度目の来訪となると、僕らはもうすっかり打ち解けていた。最初こそ、彼女は僕から都の話をせびり、僕は近くの植物の情報を仕入れる為のぎこちないやり取りだったが、次第に、友人の話や、仕事の話、はては昨日みたゆめの話など、様々な話をするようになっていった。
サワ:私、この村が嫌いなの。もう少し大人になったら、綺麗さっぱり身支度して、ここを出ていくつもりなのよ。
鈴本:あてがあるの?
サワ:そうねぇ……鈴さん、お嫁にもらってくださらない?
鈴本:うーん、僕も故郷(くに)に許嫁(いいなづけ)がいるからねぇ……
サワ:それは残念。
鈴本:(N)サワはときおり、そんな冗談をいっては僕を困らせた。少女から女へと成長していく彼女の体は、咲くのをまつ蕾(つぼみ)のようにふくらんで、憂いをおびた横顔は時折僕でもどきりとしたものだった。
〇回想からもどって。鈴本宅。
古川:おまえ、許嫁なんかいたか?
鈴本:いわなかったか?
古川:聞いてないな。しかし、文(ふみ)のひとつも交わさない許嫁か。
鈴本:じーさま同士の約束でな。国元にかえったら結婚する予定だ。
古川:帰ってないじゃないか。
鈴本:こちらで仕事がみつかったから仕方がない。
古川:(わらって)悪い男だ。
鈴本:はっはっは。しかし、サワがこちらにきたら面倒をみてやろうとは思っていたよ。
古川:どうだか。
鈴本:ほんとうさ。ただそれは叶わなかった。
古川:フラれたのか?
鈴本:うん……うん、そうだな。僕はフラれたんだ、彼女に。逃げられてしまった。
〇サワと鈴本、四度目の交流。森の中にて。
サワ:鈴さん!こっちよ、こっち。この植物なの。不思議でしょう?
鈴本:おや、これは……なめこだね。
サワ:なめこ?
鈴本:シダ類の密生している腐木(ふぼく)に固まって生えるきのこだ。しっかり下ごしらえして焼くなり煮るなりすればいい。村へおろせば、少しは生活の助けになるだろう。
サワ:ふーん。
〇サワ、なめこに触る。
サワ:ううっ、ぬるぬるしてる。
鈴本:ははっ、これをかしてあげよう。
〇鈴本、ナイフを取り出す。
サワ:いいナイフね。
鈴本:これを右手にもってね、汚さないように石づきよりやや高めで切るんだ。……ほら。
サワ:とれた!
鈴本:そうそう。上手いよ。採れたらひっくりかえして……ああ、これは虫に食われてるから、捨ててしまおうね。
サワ:まだ食べられるじゃない。
鈴本:虫がたべたものをたべるのかい?
サワ:焼いたら平気よ。
鈴本:山の子だなぁ。
サワ:鈴さんは山の子は嫌い?鬼っ子と思う?
鈴本:そうだな、僕まで食べられてしまいそうだ。
サワ:食べないわ!
鈴本:おお、こわいこわい(わらう)
サワ:(つられてわらう)
鈴本:それにしても暑くなってきたな。一枚脱いでもいいかい?
サワ:好きにすればいいじゃない。あ、そうだ。滝へいく?水浴びしましょうよ。
鈴本:僕と君でかい?
サワ:気持ちいいのよ。
鈴本:いや、さすがにそれは……
サワ:なんで?鈴さん汗だくじゃない。もしかして水がこわいの?
鈴本:そんなことはないけど……
サワ:それならよかった。私、この村もこの家もみんな嫌いだけれど、滝だけは好きなのよ。大きくて美しくて。あの滝なら、私も変われるんじゃないかって。
鈴本:変わる?どういう意味だ?滝、というと…鯉の滝登りかい?
サワ:鯉?ちがうわ。知らない?きこりの三郎が、やまべを食べたお話。
鈴本:やまべって?
サワ:おさかな。
鈴本:ふぅん。知らないな。聞かせておくれよ。
サワ:いいわ。むかし、この村に三郎と八郎というきこりの兄弟がいてね……
父:(かぶせて)サワ!
サワ:……おっとう。
父:ここで何をしていた!
サワ:……べつに。
父:今日は茶屋の店番の日だろう。
サワ:休んでいいってきいたわ。
父:いいからこい!
サワ:やっ
父:サワッ
サワ:いやよ、いやっ
父:ばかでねな!
サワ:……っ!おっとうの阿呆!
〇サワ、走りさっていってしまう。
父:まて、サワッ!
鈴本:…………
父:…………
〇父と鈴本、気まずい沈黙。
父:学生さんや。
鈴本:…………なんでしょう。
父:あまり、田舎もんをからかってやるな
鈴本:え。いや、そんなつもりは……あっ
〇父、鈴本を無視して帰る。
鈴本:そんなつもりは、ないんだがな……
鈴本:(N)サワと交流を深める一方で、サワの父と僕はあまり会話もしなかった。当然昼間の話だ。あちらも仕事がある。夜は麓の民宿に泊まっていたから、彼と会話をする道理もないのだが、それ以上に歓迎されていないのは、なんとなく感じとっていた。
〇翌日。
サワ:鈴さん!きてくれたのね。
鈴本:サワ……昨日はあの後大丈夫だったかい?怒られた?なにもなかった?
サワ:ないわ。あるわけないじゃない。おっとうは意気地なしだもの。
鈴本:自分の父親をそういうものではないよ。
サワ:ふん。
鈴本:……今日は、ご機嫌ななめかな。ここで帰る?
サワ:いやよ。いじわる言わないで、鈴さん。すねて悪かったわ。
鈴本:そうだね。サワは笑った顔がかわいい。
サワ:そ、そう?……えへへ
鈴本:さて、じゃぁ今日はどこいこうかな…………山の中腹は昨日行ったし……
サワ:茶店の近くに行きましょうよ。水浴びにちょうどいいの。
鈴本:え、サワ?
サワ:あはは、こっちよ!
鈴本:待ってくれ、サワ!
サワ:こっちよ、鈴さん!
鈴本:(N)夏の終わりの森の中を、サワはぐんぐんと駆けていった。追いつけやしなかったよ。木々の隙間を、猫の子のように裸足で駆けぬけていくんだ。そしてふいに立ち止まってかと思ったら、あっという間に滝壺近くまで飛び込んでいった。
鈴本:(N)きらきらと反射する水面が、どんなに美しかったことか…………その一瞬、僕には、彼女が過ぎ去っていく夏の化身のように思えた。けして追いつけないその季節そのものに。
サワ:鈴さぁん!はいっていきせぇ!
鈴本:僕はいいよ。ここで待ってる。
サワ:なによぅ。軟弱ものねぇ。
鈴本:なんとでもいいなさい。
サワ:鈴さんがきてくれないとつまらないわ。
鈴本:明日の分しか着替えをもってきてないんだ。
サワ:はだかで帰ればいいじゃない。
鈴本:馬鹿いえ。
サワ:じゃあ私が洗濯してあげるから、もう一晩とまっていきなさいな。
鈴本:汽車をとってあるんだ。帰るよ。
サワ:ひどいわ。つれない人。
鈴本:そういう台詞を言いたいなら、もう少しつつしみを持つんだな。
サワ:つつしみ?
鈴本:そうだ。おなごがあまり腕白な真似をしなさんな。はしたない。
サワ:どうして?
鈴本:どうして、って……そういうものだろう。
サワ:くだらないわ。同じ人なのに。
鈴本:…………
サワ:ねぇ、鈴さんもいらっしゃいよ。気持ちいいわよ。
鈴本:僕はいい。
サワ:もしかして恥ずかしがっていらっしゃるの?
鈴本:まさか。おぼこでもあるまいし。
サワ:鈴さん、恥ずかしいのでしょう。
鈴本:(N)ひたりと濡れた彼女の手が、僕の足首をつかんだ。小麦色の小さな手が、汗に濡れたふとももへと伝っていく。
サワ:いらっしゃいよ、楽しいわ。
鈴本:…………ばかいえ
サワ:ふん、意気地なし。鈴さんもおっとうと一緒ね。
鈴本:(N)それから僕は、滝口でゆうゆうと泳ぐサワを木陰から眺めていた。サワはときおりこちらを振り返っては悪戯っぽく笑ったが、もう僕を手招きすることはなかった。
〇回想から戻って。鈴本宅。
古川:なんだ、お前。ほんとに手をださなかったのか。
鈴本:出すか。プラトニックだといっただろう。
古川:だが女からの誘いを断ったとは聞いてなかったぞ。
鈴本:たんに水浴びに誘われただけだ。
古川:おいおいおい、本気か?尋常小学校からおてて繋いでやりなおすか?
鈴本:阿呆。この色狂いめ。
古川:色狂いってこたぁないだろう。俺は全ての女を平等に愛してるだけだ。
鈴本:それが色狂いだと言っているんだ。
古川:(薄く笑う)ふーむ、それにしても。「おっとうと同じ」か……
鈴本:ん?なんだ?
古川:おまえはひっかからなかったのか?
鈴本:なにがだ。
古川:ああ、いや。たいしたことじゃあないんだ。
鈴本:?
古川:ああ、そうだ。鯉!鯉の滝登りの話はどうだったんだ?聞いたんだろ?
鈴本:鯉……、きこりの兄弟の話か。はは、あれは鯉が龍になる話じゃなくてね。
古川:ふむ?
鈴本:蛇の話なんだ。木こりの兄弟は大蛇になったんだよ。
〇鈴本の回想。
サワ:むかしこのあたりに、三郎と八郎というきこりの兄弟がいてね、ある日兄の三郎はやまべという魚をたくさん釣ったの。たっぷりと身の詰まった美味しいお魚。三郎は兄弟で食べようと思って、八郎の帰りを待っていたのだけど、待ちきれずに、一匹食べてしまってね。食べ終わったら、もう一匹、それも食べ終わったらもう二匹と、とうとう全てたべてしまったの。
鈴本:ひどい兄だ。
サワ:そうね。でも三郎は罰をうけたわ。
鈴本:罰?
サワ:食べ終わった三郎はね、喉が渇いて乾いて仕方なくなったの。家じゅうの水を飲み干しても、隣近所の水がめを荒らしても、こらえきれない大変な渇き。さらには水を飲んでいるうちに身体中にぶつぶつと大きなウロコが生えてきたの。水場をもとめてさ迷い歩く三郎の身体は、みるみるうちに人間のカタチを失っていき、この滝にたどり着いた時には恐ろしい大蛇になっていた。
鈴本:ほう。
サワ:かけつけた八郎が滝の上から「三郎やぁ」と声かけると、大蛇は涙をこぼして「八郎やぁ」と応えたけど、ふたりの兄弟には、もうどうすることもできなかったのよ。「八郎やぁ」「三郎やぁ」と応えながら、大蛇は滝をおりて、川下へくだっていったのですって。
鈴本:かなしい話だな。
サワ:ええ、でも素敵なお話。
鈴本:素敵?どこが?
サワ:耳をすますと、……ほら、聞こえない?「三郎やぁ」「八郎やぁ」って。滝の音がするたび、私はまだふたりが名前を呼びあってる気がするの。
鈴本:いまも?
サワ:そう、いまも。悲劇だからこそ、兄弟はいつまでもお互いを想っていられるのよ。
鈴本:(N)そういったサワの横顔は、水面に反射した光に照らされて不思議な光彩を放っていた。言葉もなく見惚れていると、振りむいた彼女が、唐突に僕に言った。
サワ:鈴さんは、何のために生きてるの?
鈴本:え……?
サワ:なんのためにここにきて、何のために苔の研究なんかしてるの?どうして?
鈴本:それは、僕は学舎に通っていて……苔が僕の研究テーマだからだ。
サワ:学舎のために生きてるの?
鈴本:いや、それは違うよ。学舎はあくまで将来のための場所だ。
サワ:将来?
鈴本:そうだ。僕は今後この国を支える一人になるのだから。
サワ:国を支える……そう、鈴さんは立派な人になるのね。
鈴本:そのつもりさ。今は師に教えを乞う立場だけどね。
サワ:ふふふ。なら、もうここにきては駄目ね。
鈴本:え?
サワ:ここでは何にもなれないもの。
鈴本:(N)そういったサワの顔は、もう僕をみていなかった。彼女はただ、一心に滝の方をみていた。
〇間。
鈴本:(N)その日の晩のことだ。僕は宿の布団の中で眠られず、しきりに寝返りをうっていた。諦めて本でも読もうかとランタンを取り出した時、けたたましく戸をたたれた。
父:学生さん!学生さんはここか!?
鈴本:!?……あなたは、
父:サワは?サワはここにきてるだろう!
鈴本:なにをいってるんですか?
父:俺が悪かった。もうしない。もうしないからサワを出してくれ!
鈴本:ちょ、ちょっとおちついて、
父:(かぶせて)だまれ!俺の娘をかどわかしよって!サワ!サワはどこにいる!
鈴本:ちょ、おとうさん、
父:誰がおめえの父じゃ!
〇父、腕を振り払った際に鈴本をなぐってしまう。
鈴本:……っ!
父:(ハッとした様子で)す、すまん。
鈴本:いえ……一体どうしたっていうんです?
父:サワは……ここにいないのか?
鈴本:いませんよ。
父:サワ…ッ!
鈴本:あ、ちょっと!
鈴本:(N)サワの父親は、静止も聞かず、山へ走っていった。僕も上着をつかみ、慌ててその後を追ったが、いっこうに追いつかない。なにしろこちらは寝巻きだ。それでも男の背を追って山を駆け上がっていくうちに、だんだんと空が白みだした。
父:サワ!
鈴本:(N)どどどどと、滝の音が聞こえた。そう、ちょうどこんな雨のような。その滝の音に混じって男の声がした。
サワ:おっとぅ!
鈴本:(N)そして女の声。サワの声だ。登り始めた朝日を背に、彼女は父親と共に滝の上に立っていた。
鈴本:(N)ふたりが何を話していたのかは知らない。すべてを聞くには僕は遠すぎた。手も声も届かないはるか遠くで、ふたりが話し合っているのをみた。そして、
サワ:阿呆!
鈴本:(N)その言葉を最後に、サワがおちてきた。まっさかさまに。滝つぼの上に。
鈴本:(N)僕は必死に彼女を助けようとしたよ。寝巻のまま滝つぼ近くに飛び込んで、サワの身体をさがした。だが、いくら探そうともあの小麦色の肌は見当たらなかった。すらりとした上半身が水面に浮かんでくることもなかった。
鈴本:サワ……!どこにいるんだ、サワ!
鈴本(M)どれだけ声を振り絞ろうとも、応答はなかった。ぐっしょりとぬれた寝巻が身体にはりつくばかりで、ただただ不快だった。必死に捜索もむなしく、いつまでたっても、サワの身体は見つけられなかった。
鈴本:(N)ただ、……必死に彼女を探す途中、一匹の小さな水蛇が、僕の眼前を通り過ぎ、ひらりひらりと尾をふっていった。まるで、別れの挨拶でもするように。
〇長めの間。
〇回想終了。鈴本宅。
古川:じゃあ、なんだい?君はその水蛇がサワっていう女だというのかい?
鈴本:さぁ、それはわからない。ただわかっていることは、サワは見つからなかったということだけだ。
古川:ははは、案外ひょっこり家にかえってたりな。
鈴本:……そうだといいな。
古川:…………
鈴本:そうならいい。……ああ、そうだったら、いいんだ。
古川:(ためいき)きっと、お前はからかわれたんだよ。気に喰わない余所もんがもう戻ってこないように、娘と父親にたばかられたのさ。
鈴本:そうかな?
古川:そうさ。その娘は今でもその村で元気に暮らしてるよ。
鈴本:……ありがとう。
古川:いいや。
鈴本:でも僕はやっぱり、こういう雨の日には耳を傾けてしまうんだ。あの滝の中で、サワの声を探してしまう。
古川:………
鈴本:「何にもなれない」といった彼女の横顔を、思い出してしまうんだ……
古川:(N)そういって友人は、注いだばかりの酒をひと思いに飲みほした。雨の勢いはいよいよすさまじく、辺り一面を白くけぶらせて、しだいに何も見えなくなっていった。
〇終了。
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