〇作品概要説明
1人用朗読台本。ト書き含めて約3000字。死んだ母親を追いかけて楽園に行く話。
〇登場人物
私:設定上女だが、改変可能。
〇ご利用前に注意事項の確認をよろしくお願いいたします。
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作者:七枝
本文
私の母は美しい人だった。
いつもどこか花の匂いがして、触れる肌はふっくらと柔らかく、流れる黒髪は風にたなびいてきらめいていた。
母はよく、私をみて「かわいそうに」と言った。
「こんなに醜くに生まれてかわいそうに」「こんなに弱い子でかわいそうに」
かわいそうにかわいそうにと言いながら、ほろほろと涙を流した。
そして、私のアトピーでかぶれた肌や、目やにでつぶれた目元を、まるで壊れ物を扱うようにおそるおそる撫でては、最後に力強く抱きしめてくれる。
幼い私は、母の「かわいそう」の意味がわからず、ただこの美しい人が自分を優しく撫でて抱きしめてくれることがただただ嬉しく、誇らしくて、母の哀しみなど分からず与えられた愛情を享受(きょうじゅ)することに必死だった。
父は「わが子にそんなことを言うものではない」と、母を諫めたり(いさめたり)、私を外へ出すように叱ったり等していたようだが、やがて諦めたのか家によりつかなくなった。
だから私の幼少期は、あの美しい人の記憶しかない。
母の基準はとにかく「美しさ」にあったから、父が消えた家でも、家はきちんと美しく整えられていた。あるべきものはあるべき場所へ。美しい姿勢で、美しい佇まいで。
飾られた絵画も庭も調度品も、いつだってそれらは美しく整えられており、そこを歩く母はそれらを従える女主人であり、女王だった。もちろん、土仕事や家事をする際、多少汚れはしたが、その姿すらも美しく、紫外線で肌が爛(ただ)れてしまう私と違い、日の輝きの下でもって、ますます生の輝きに満ちていた。
私はよく窓際の、ギリギリまで日が当たらないところまで近づいて、外で庭仕事にいそしむ母を眺めていた。ときどき振り返っては、哀し気に微笑む彼女が好きだった。
当時の家にはテレビがなく、音といえばラジオと生活音、そして母の細い声のみだった為、私の言語能力は同年代の子どもと比べて著しく劣っていたと思う。
ゆえに、母も私と喋ることは少なく、外にでることもなく、私たちはその静かな家で、息をひそめて暮らしていた。
まるで、深海に沈んでいくように。あるいは、土の下で浅い眠りにつくように。
ある日突然、買い物に出かけた母が車に轢かれて(ひかれて)あっけなく死ぬまで、その生活は、続いていた。
病院で、久しぶりに父と会った。
父の顔はしわだらけで、髭も伸ばし放題、くたびれ放題、ワイシャツはよれよれで、目元は真っ赤に腫れ(はれ)ていた。
なんだ、この醜いものは、と思った。
母とは全く違う。外の世界にはこんなに醜いもので溢れていたのか、と。
父が何かを言い、私を強く抱きしめたが、つんと香る汗の匂いと髭の感触がただただ不快で、仕方なかった。
死の概念すらわからない幼い私は、母が戻ってこないのが信じられず、父の生ぬるい体温と、汚らしい息に無抵抗で棒立ちしていた。
帰りたかった。しかし帰れなかった。車でずたずたに引き裂かれたあの人は、死に顔すら見ることも叶わず、突然私の前から消えた。
それからの地獄を、少しだけ話そう。
私は父が外で作った家庭に引き取られ、病院に通うことになった。
うすっぺらな笑顔の仮面をつけた女と、ふてぶてしい顔をした腹違いの弟とやらに引き会わされ、「仲良くするように」と言いつけられた。
そして、紫外線に敏感で、アトピーでかぶれた肌を治すため皮膚科に通い、学校にいくように強要された。
7つまでろくに喋れず、ぼろぼろの皮膚をもつ女児が特別な配慮もなく「普通」の生活に投げ込まれたらどうなるか。そんなこと考えなくてもわかるだろう?
当然、私はいじめられた。誰も助けてくれる人はいなかった。日ごと襲い来る痛みと蔑み(さげすみ)の視線に耐えながら、ただただ母との生活を思いかえした。
虫だ。こいつらはみんな虫なんだ。母の庭を荒らす毒虫だ。私はいま、長い長い悪夢をみていて、目をさましたら、きっとまたあの家にいる。こんなのは全てまやかしだ。毒虫共がみせる悪い夢。
なんて五月蠅い虫だろう。母はこの虫共をいつまでのさばらせているのだろう。はやく摘んでほしい。はやく戻りたい。母のつくる、あの美しい楽園へ。
しかし私に戻る場所はもうなかった。当然だ。あの家の女主人は死んだのだから。
楽園は崩れ去ったのだ。だが、そう信じることが唯一の救いだった。
ある日鏡をみて、ふと気づいた。
鏡の中に、母がいた。
もちろん、正確には母ではない。皮膚科に通うことによって、健康状態が回復し、成長した私だった。
相変わらずいじめられてはいたものの、衣食住に困ることはなかった為、外見上健やかに成長した私は、驚くほど母に似ていた。
この事実に気づくや否や、私は自分の見かけを装うことに夢中になった。
母がいる。鏡の中に、あの美しい母が。私の中に、母がいるのだ。
姿勢をのばし、嫌々通っていた皮膚科に熱心に通い始めた。口元に笑みをうかべ、口数は少なくとも、堂々とした態度をとるように努めた。
できることはそれぐらいだったが、それで十分だった。そうだ。母はこんな人だった。あの美しい人は。ああ、でも、こんなものではない。もっと完璧に近づきたい。もっと。
不思議なことに、そのあたりから毒虫共がいやに静かになっていた。いや、むしろすり寄るようになってきていて、鬱陶(うっとう)しかった。特に義弟はやたらと声をかけてくるようになって、義母の視線が煩わしく、放っておいてほしかった。
なぜ外の世界はこんなにも五月蠅いのだろう。母のつくる静寂が恋しかった。あの楽園の暗がりで、静かに眠りたい。それだけなのに。
しかし、体のふくらみが増していくにつれ、外はいよいよ騒がしく、義母とは険悪になっていった。そしてついに父までも厭(いや)らしい目でみてくるようになった頃、ほとほと全てが嫌になった。
ああ、すべて毒虫共のせいだ。毒虫共が騒音をつくりだし、汚物を垂れ流すから、こうも世界は醜くすすけてしまう。父も義母も弟も学校のやつらも、みんなみんな醜い毒虫なのだ。どうしてそれに気づかないのだろう?どうしてあんな我が物顔して、図々しく世を闊歩(かっぽ)できるのだろう?美しい人の情けで生きていることがわからないのだろうか。本来、美しくないものは、必要ないのだ。存在する値(あたい)がない。皆、きちんと正しく美しくかえるべきなのだ。あるべきものは、あるべき場所に。毒虫は毒虫の巣へ。美しい人は、美しい楽園へ。
はっと、我にかえった。
そうだ、私が間違っていたのだ。そもそもここはあの楽園ではない。ここは毒虫の巣。場違いなのは私のほうだ。私が、出ていけばよいのだ。なんだ、簡単なことではないか。こんな簡単なことに気づくのに、どうしてこんなに時間がかかったのだろう。
私は、母の形見の白いワンピースをとりだし、義母の化粧品をかりて薄く化粧をした。
鏡にうつる私は、少々幼いながらも美しく、小さなころに見上げた母ととてもよく似ていた。
あるべきものはあるべき場所へ。だからわたしは、母に会いに楽園へ行く。
おしまい。
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